2021年04月

2021年04月30日

おふくろの味

今期のテレビドラマで北川景子さんが出演されているドラマ「リコカツ」
の中で甘い卵焼きと甘くない卵焼きの事が話題になっていた。
ドラマの中で北川さんの夫のお母さん(宮崎美子さん)が熟年離婚を望
み家出するのだけれど、そこまで至る経緯の根っこに、自分は甘い卵焼
きが好きだけれど夫が好きなのは逆なのでずっとそちらを作り続けてき
た(もしかしたら逆だったかな?)事が話題になっていた。

そこでふと思い出した。私も新婚の頃甘い卵焼きを作ったら、主人は小さ
い頃からしょうゆ味の卵焼きだったのでこれは嫌だと言われた事を。
それから実家ではトマトに必ず塩を振って食べていたので、そうやって出
したら「信じられない!うちの家系は高血圧だからこんなの絶対食べない」
と言われた事も。
それぞれ育った環境が違うからこういう事はどこの家庭でもあるのだろう
が、やはり言われた時には何となくショックだった事を覚えている。

私の母は貧しい家の出だったから料理の味付けはお砂糖とお醤油が基本で
みりんやお酒などは一切使わなかったように記憶している。
主人の母は再婚で年の離れた会社を経営していた人と結婚したので、かな
り凝ったお料理を作っていたらしくハンバーグを食べる時はナイフとフォ
ークだったらしい。私の実家にはフォークはあったけれどナイフはなかっ
たかも(笑)

結婚してから主人の実家で義母の料理作りを見るのが楽しみで私はけっこ
ういろんな事を教えてもらった。
「お肉を焼く時にフライパンに張り付いてしまったら、焦げてもいいやく
らいの気持ちで待ってると自然とパラリ剝がれるわよ。」とか・・
「カキフライを作るときは最初にカキを牛乳で洗ってね」とか・・
今でも料理をしているときにそんな義母の言葉ときれいだった姿が思いだ
される。
スパゲティーだって実家ではナポリタン、それもケチャップのみ混ぜたも
のだったけれど、義母の作るミートソースは絶品。これはメモして覚えた。
以来40年直伝のミートソースを作り続けているので、これを食べる時だけ
は主人も「これはおふくろの味と一緒だなー。」という。

私の息子たちにとって「おふくろの味」は何だろう?今度聞いてみようか
な?
息子のお嫁さん達は私の料理を美味しいと言ってくれるけれど(お世辞かも)
作り方を聞いてきた事はない。本当は教えたくてうずうずしている私なのだ
けれど・・(笑)

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toranekomoko at 11:36|Permalink

2021年04月28日

待ちぼうけ。

この年になってけっこう珍しい体験かと思うので書いておく事にした。
昨年秋の出来事だが、数年前まで同じ職場に勤めていた女性と近くの
スーパーでばったり会うことが時々あった。

会えばお互い元気?今度お茶でもしましょうねと言って別れるのだけ
れどその時は彼女が、「たくさん聞いてもらいたいことがあるの。
今の仕事の事とか嫁の事とか・・明日でも改めてお茶しませんか?」
と言う。
あいにく私に予定があったので、では1週間後に換気の良い大型店舗
内のカフェで14時にと約束した。

そして約束をした数日前からラインで「予定通りで良いですか?」と尋ね
るのに既読にもならない。約束の日までラインをし続けたけれど既読にな
らずあちらからも来ない。
どうしたんだろう?何か突発的な事でも起きたのかと心配した。そして当
日約束の場所へとりあえず行った。1時間位待ったろうか・・結局来なかっ
た。

訳が分からないままもう私からラインする事はしなかった。
すると数日後彼女からメールが来て「メール読めますか?」とあった。
ラインは読めないけれどメールはできるんだ・・
それならば、メールで来れない旨を連絡くれてもよかったのでは?
「仕事や家の事で色々あって連絡ができませんでした。そしてラインは読め
ません。」と言う。謎である。
彼女の気持ちが謎である。何も連絡もせずにその日を過ごせた事、そして
しばらくしてからわざわざ連絡をしてきた事・・。

そういえば、同じ職場で働いていた時に、部署が違うので仕事以外で会った
事はなかったが、彼女と同じ職場の人が、「彼女はいつもドタキャンするか
ら。」と言っていた。
ドタキャンならまだしも、これはすっぽかしだ・・。

先日スーパーで彼女を見かけたが声をかけることはしなかった。話の合いそ
うな素敵な人だっただけにがっかりしたし、残念な気もしている。

若いときの異性同士なら完全に「振られました」のパターンだな。
こういう人って本当にいるんだなと思った。
還暦過ぎての中々レアな出来事だったので胸に残っている。

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toranekomoko at 11:48|Permalink

2021年04月26日

ワクチン接種券が届いた!

とは、言っても87才の母にだけだった。
確か横浜市はまずは85歳以上から順次発送すると新聞に書いてあった事
を思い出した。(それもだいぶ以前に)

母は今ホームで暮らしているが住民票は私の家にしてある。そうしない
と郵便物が皆ホームに行ってしまうからである。
ホームからも先日そろそろ施設内でワクチン接種ができそうなので、受
けるか受けないかの家族の意思を確認するお手紙が来た。
もちろん母は打った方が良いと思うので「受ける」とお返事した。
そしてこの接種券を日時が決まったらホームに届けるらしい。

65歳以上の主人にはいつごろ届くのだろうか?私には?
確か昨年後半、菅総理は来年前半には全ての国民がワクチンを打てるよう
にすると言っていたのではなかったか?
この国がこんなにも信じられないという事を改めて知った思いだ。

英国変異型ウィルスに続いて、インドのウィルスも忍び寄っている気配。
ワクチン打っても効くのか?そもそもワクチン打って大丈夫なのか?
打たないリスクと打つリスクを考えたら、私たち高齢者は打った方が良い
とは思うけれど、若い人達はどうなんだろう?
私のかかりつけ医も、これから子供を持とうとする若い夫婦は(妻だけじゃ
なくて夫もだ)打たない方が良いかもしれませんと言っていた。
医者が言うのだ・・怖い・・。でも息子たちに貴方たち打つのはやめておき
なさいとは言えないしな・・。医者の言葉だけは伝えた方が良いのだろうか?

今朝も明るい陽光がカーテンを照らした。カーテンを開けるとまぶしい太陽が
山の上にあった。
自然はこんなにも明るいのに、下界は混沌としている。
まさにコロナとワクチンでカオスな状態だ。
そして私の気持ちも今一つパッとしない今日この頃である。


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2021年04月23日

生きてさえいればいつかきっと会える・・。

確かそんな歌の歌詞があったような・・?なかったような?

またまた出される緊急事態宣言。
長男はスカイツリーの見える都内某区。娘は生後4か月。
次男はつくばエキスプレス沿線のまだ新しい文教地区に住んでいる。
今年の秋で5歳になる息子がいる。

次男夫婦は結婚当初横浜に住んでいたが出産のために里帰りした嫁が
思いがけず帝王切開になり産後の肥立ちが悪く、また生まれた子供が
ベッドに降ろすとすぐに泣く、抱いていれば眠るけれど降ろすとまた
泣くという子供だった。
そんなことはよくある事とはいうけれど、本当に本当に寝ない子で大
変で・・それで結局嫁の体力も持たずあちらのおかあさんの力も借り
なければいけない状況で・・。
当初は1年くらいで横浜に帰ってくるつもりでいたのだが、結局嫁の
実家にほど近い所へマンションを買って住むことになった。
寂しい気もしたがもちろん相談もあったし何よりその町がとても孫に
は良い環境であるので賛成した。

車で往復3時間かかるけれど、息子夫婦も離れている分意識して孫に
会わせてくれて1か月に1度は必ず会っていた。子供の成長はめざま
しく1か月でも目を見張るほど。会った後も愛しい気持ちの余韻が胸
に残り幸せを感じた。

ところが今はコロナで思うように会えない。12月に1度クリスマスプ
レゼントを渡すためにあちらまで出かけて公園で少し遊んでプレゼン
トを渡して別れた。年が明けてからは1度お年玉を渡すためにやはり
あちらの公園で会って別れた。寒くて寒くて大変だった。
もうずっと外食や家に行ったり来たりの会食もできていない。
毎日会いたいなと思う。夜ベッドに入ると必ず孫を思い出し切なく
なる。

こんな気持ちを主人に話すと、「〇〇君はパパとママが一番好きだか
らそんなに寂しがっても仕方ない」と言われる。
昨日も同じようなことを訴えたら「元気で暮らしていればそれでいい
じゃないか。」と言われた。男の人ってそんなものなのだろうか?

5月5日の子供の日には、またあちらに行って公園で少し会って帰るつ
もりでいたけれど、この所の変異型ウィルス流行でそれは中止にした
方が良いのかな?と思い始めている。
もちろん長男夫婦の所へも行けなそうだ。

コロナはもう何が何だかわからない。テレビではコロナの恐ろしさば
かりが報道され、ネットではそれと同じ位「コロナの茶番、コロナの
詐欺」という情報で溢れている。ワクチンは人体実験だという説も・・。

いつまで我慢すれば子供や孫たちに楽しく会えるようになるのだろう
か。今朝私の頭に浮かんだ言葉がこのブログタイトルの「生きてさえ
いれば・・」だった。
5月の晴れ晴れとした美しい陽気・・それとはうらはらな心模様の私だ。

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toranekomoko at 12:34|Permalink

2021年04月21日

占いが大好きだった。

私と同年代の方は思春期の頃話題になった「ノストラダムスの大予言」
を覚えている方も多いと思う。
私はまさに「震撼とした」という記憶があり怖くて怖くて母に泣きつい
た事を覚えている。
現実的な母はもちろん一笑に付したが・・。

その後二十歳を過ぎ適齢期の頃今度は「天中殺」が流行した。
付き合っている人との相性や付き合い始めた時期が良いか悪いかなど、
1年ごとの運命も良い年やら悪い年があり本を買って夢中で読んだ。
そしたら主人と結婚するその年その月はお互いに天中殺。
結婚しても不幸になるし早晩離婚するでしょうと、著名な有名人を例に
あげて解説してあった。占い大好き、占い信じる私なら結婚を止めそう
なものだが結婚は決行した。

そして子供が小さかった頃今度は細木数子さんの占いが大流行。
12年で1サイクルになり大殺界と言う3年続く不幸な時期は最後に「死」
が訪れるという。これにもはまりまくった。
手帳に毎日の運気。良い日、悪い日などを記して過ごしたが、結局旅行
に行く日が悪い日でも以前から決めてあったから出かけて行った。

それから、スピリチュアルなんてのも大好きでヒーリングとか、オーラ
とか、類は友を呼ぶでそういうものを大好きな友人の紹介や誘いでけっ
こう色々な所へもでかけた。

職場の人間関係で悩んでいた時には、「あなたの背中にべったりと悲しみ
や苦しみが張り付いています。今から私が剝がしてさしあげますね。」と
言われた。そのころすごい肩こりで背中まで痛かった。
また、たとえば車を運転していて事故を見かけたらそれはあなたも同じ立
場にいるという事ですよ。何だか怖かった。

結局天中殺結婚だったけれど、生活の中で嫌な事や辛いことがあると「天中
殺結婚だったからかしら?」と思い、まあまな生活だと思う時には占い当た
らないじゃんと思った。結婚生活ももう40年続いている。

要は、占いやスピリチュアル、とっても夢中になったけれど最後に決めるの
は自分の意志だったということが60年生きてきての正直な気持ち。
数年前までスピリチュアルフェアーなんてものにもよく出かけたけれど、ほ
とんどの方が私より年下かうんと若い人が多くて、何だか大丈夫?私の方が
人生経験は豊富よと言う気持ちになってしまった。

それでだんだんそういうものから遠ざかるようになってきている。
おまけにこのコロナがいつ収束するかなんて最早誰が占っても当たる事はな
いだろうと、信じられるのは感染を防ぐ自分の行動一つだろうと思うように
なってしまった。

生前、父が言っていた。「占いなんてのはな、あなたの家の門に松がありま
すね?と聞かれるだろう、ないと言えばそれはまずい病気になります。と言
われ、あるといえばそれは良い事ですね。家が栄えますよ。と言われる。
そんなものだよ。」言い得て妙だなと今にして思う私である。

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toranekomoko at 11:55|Permalink

2021年04月19日

無理は禁物。

先週の土曜日は雨模様だった。
雨の日はさすがに歩きに外へは行かない。傘をさして歩いても良いのだ
ろうけどやっぱりお休みにする。

それでいつものように主人と晩酌からの夕飯タイム。それが終るとしば
らくしてそれぞれ録画しておいた番組を見たいので主人は自分の部屋へ
私はリビングに残る。

ドラマを見ながらふと今日は歩かなかった事を思い出し部屋のウオーキ
ングマシンに乗った。最近外で歩いていても何となく走り出したい気分
に駆られることがある。マシーンで歩きながら少し速度を上げてみた。
でもお酒飲んでるから走るのはやめようと思い早歩きでつま先立ってみ
たり腿を高く上げてみたりいつもより力強く歩いた。

そして夜中、右足の膝の裏の痛みで目が覚めた。ずっとではないけれど
時々結構な痛みでそのたびに目が覚める。朝起きてもやはり痛い・・。
どうしたんだろう?こんなところと思いはたと気づいた。もしや昨夜の
あのマシーンでの走りが原因?
たかだか20分程度のあれで・・。結局湿布を貼り夕方には痛みも治まった。

そうそう、お風呂の中で浮力を生かしてのウェストひねり。現在30代の息
子が幼稚園生だった頃ウエストの細さが自慢の綺麗な体操の先生が話して
いた。それを毎晩続けているので細いんですよと。
先日、急にその事を思い出し自分もやってみた。そしたら翌朝片側の背中
の筋が痛かった。

つくづく老いを感じた。やっぱり年を取ったら無理は禁物。
ぼちぼち、ゆるゆると何でも行うくらいの気構えでいた方が身のためだと
思った。

ぼちぼち、ゆるゆると、決して歩く時も走るなんてしないで毎日変わりな
いささやかな生活ができれば今はとても幸せと思えるご時世なのだと思う。

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toranekomoko at 10:54|Permalink

2021年04月13日

私の葛藤。

先日母の現在をブログに書いたすぐあとに、母の居るホームから電話が
あった。緊急事態宣言は解除されたもののリバウンドや変異株感染拡大
の恐れから来週半ば以降当面の間玄関先の面会も禁止にすると言う。

ちょっとショックだった。一緒に暮らしているとやはりイライラがつの
り口げんかもしょっちゅうだが、離れて暮らしてたまに会うのは母に対
して信じられないくらい優しい気持ちになれる。多分一緒に暮らしてい
たらブログに書いていないか、書いても愚痴ばかりだったのではと思う。

先週末会いに行ってきた。
今の母の問題は尿漏れだ。これは4年くらい前から始まり我が家に泊まり
に来た朝よく間に合わずパジャマや下着を汚すことが多かった。
それでも私に黙ってそれらを家に持って帰っていた。(パジャマのズボン
だけ持ち帰るので明々白々)今はリハパンとパットをしていても知らない
間にそれが濡れているようになってしまった。でも節約家の母はそのパッ
トを大して濡れてないからとティッシュペーパーでぐるぐる巻きにして使
うのだ!私がまだ母の部屋に入れた頃母のズボンのお尻部分が濡れていた
のでわかった。
それでホームの方に時々見てもらうようお願いしたのだが、先週末職員の
方が私に今はそれに関しては全介入しています。ただプライドがあるので
そこを傷つけないようにしていますと話してくれた。

それ以外は忘れっぽさくらいだろうか。看護師さんも一見すると普通の方
と変わりませんと言う。入所当時3だった介護度も昨年の見直しで1に下
がった。最初の申請は何もわからない症候群の入院中であったためかもし
れない。
面会の意味合いは母を喜ばせることはもちろんだが元気な母を見て私が安
心する事も大きい。ここに入居させた判断は正しかったのだという安心感。

このくらいの認知ならデイサービスなどを使って家でもみられるのではな
いか?と思う自分がいつもいる。確かに会えば元気だし寂しくはないとい
うが、コロナ禍の今ホームから出られない状況だから、日光も浴びれない
し(たまには日光浴があるらしいが。)歩かないから筋力がどんどん低下
してゆく。外食も行けないから出されたものしか食べられない。
お寿司やピザなんて絶対食べられない。だからそういうものを家で食べる
時、母に申し訳ない気持ちがしてたまらない。それでもこのホームはおや
つの差し入れ自由、部屋で自由に食べてかまわないのでありがたいことだ。
(老健、特養、グループホームは一切禁止だ。)

面会できるようになったら連絡が来るというが、ワクチンを打ったところ
で抗体がいつまで続くか変異株には有効なのかわからないから、玄関先で
の面会が許されるようになってもお散歩や外出は無理に違いない。
でもたとえ今現在ホームを退去したところで私と一緒でない限りどこにも
出せないからそれはやはり無理だろう。ならばある程度コロナが収まった
ところで退去するか・・?
デイサービスやたまにはショートステイを使って・・。でないと母の今後
は塀の中の人のようになってしまいそうだ。

でもでも、やっぱりホーム退去はできないのだろうなと思う。
主人も弟も、周り皆が言う。今より良くなる事は絶対にないのだから、一
緒に暮らせば年中イライラする貴方(私)の顔が今から思い浮かびますよ。
と・・。

そして私の意味ない葛藤は毎日続いてゆくのだろう。

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toranekomoko at 10:40|Permalink

2021年04月09日

母の晩年 その3  

父の死後1年経った頃の急な血圧の上昇という体調不良から2019年
までの約10年間母はいつも「足がだるくて頭がぼーっとする。」
「一人は寂しい。お前の所に泊まるのだけが楽しみだと。」と言い
続けながら今まで通りすべての趣味はこなし、老人会の旅行もこん
なにだるくては行けそうにないと言いながら、結局全て行った。
毎週2回我が家に泊まり大晦日、元旦も毎年我が家で過ごした。
「足はだるいし、頭はぼんやりだけど食べものだけはおいしのよね」
と言い食欲はずっと旺盛だった。

しかし2019年7月の大雨の夜ついに母がおかしくなってしまった。
タクシードライバーの方が親切にも待っていてくれたので母の自宅か
ら我が家へと連れ帰りそのまま逗留。
そして3日目の夜の事。食欲旺盛な母が夕飯を前にして固まっている。
主人が「お母さん、どうぞ食べて」というと・・
「食べ方がわからないのよ。」と言う。驚愕する私達。こうお箸を持
って・・と教えると食べられる。そこからスリッパが履けない、トイ
レの仕方がわからないと始まった。ただすべて教えれば言うとおりに
できる。一緒にトイレに入りペーパーをちぎりお尻の拭き方も教えた。

翌日これはやはりおかしいと町の中規模の入院施設のある病院に行っ
た。頭の血管が詰まって一時的に何もできなくなる病気もあると聞い
ていたが幸い脳疾患はなかった。
ただ脱水症状もあるし認知症の検査なども必要なので入院となった。
母は抵抗する事なく案外スムーズにに入院してくれたと記憶している。

やはりアルツハイマー型認知症だと言われ家で見るのが大変だったら
提携の老健施設に今なら空きがありますから入所しますか?と言われ
主人と弟夫婦と話し合いの結果入所させる事にした。
私の家に戻してデイサービスやショートステイなどを使いながらの介
護方法の選択肢を考えなくもなかったが弟は「俺はみれない」と言った。
義妹も主人も入所が良いと言った。私も結局それが良いと思った。
私がみるよとは言えなかったのである。

二日間だけ我が家に帰ってきて、老健施設に向かう時「終わったらお
前の家に帰れるんだよね?」と母は言った。母には別の病院でもう少
し検査するからと話しておいた。けれど母の望みは叶えてやれなかっ
た。「検査の結果頭の血管に詰まりがあっていつ倒れるかわからない
から少しここに入院してリハビリしよう。」と私が言うと怒った。
別に大したことないのにと怒った。でもしぶしぶ承知してくれた。

しばらくすると老健にも慣れ週末は我が家に外泊、知り合いや叔母な
ども尋ねてくれ外出して食事をしたりした。
食事の仕方やトイレなど元通りにできるようにもなった。認知症では
あるけれどあの一連の何もわからない症候群はもしかしたら脱水によ
るパニック症状だったのかもしれない。

しかし老健はある程度経つと退所を言われる。我が家に戻すのか・・
はたまたサ高住や有料老人ホームか・・。
前もって予備知識を入れておいた方が良いかもと思い、ある日私は
そういった施設を紹介してくれる相談センターを訪ねた。
やはり入るなら介護付き有料老人ホームが良い。でもどれも皆料金
が高い。
すると我が家から車で15分ほどの距離に料金もそれほど高くない少人
数のホームがあると教えてくれた。後日予約を入れて見学に行った。

一つの部屋が空いていて見せてくれた。広くて清潔で日当たりも良い
部屋だった。そしてまた今なら空きがありますから入居できますよ。
と言われた。終生居られるというのだ。
年が明け2020年1月、母をそのホームに入居させた。
やはり最初は「なぜお前の所に戻れないの?」と怒ったが、私も働い
ているし一人でいても不安でしょう?というと納得してくれた。
ホームには認知症の方も多いが、そうでない方も多く母はすぐに慣れ
た。母の順応性には本当にあっぱれだと思った。
そしてコロナ禍が始まる前まで私はちょくちょく母の所へ行き我が家
にも外泊をし、お互い優しい気持ちで楽しく過ごしてきた。

コロナ禍が始まり、緊急事態宣言が発令された間は面会禁止となった
が、解除されると玄関先での短時間の面会だけは許されるようになっ
た。外泊はおろか外出も散歩も禁止だが、これだけでもありがたい。
幸いホームではいろいろなレクもやってくれ、たまに外で日光浴、た
まにドライブも連れて行ってくれる。

面会に行くと「今皆でトランプやってたんだとよ」と楽しそうに言う。
淋しくないか?退屈していないかと聞くと、皆といるから大丈夫と言
ってくれるのが何よりの救いである。これが今現在の母の晩年だ。

早くコロナ禍が終わってほしい。
そうしたらもう少し母に楽しみを与えられるので・・。

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toranekomoko at 11:38|Permalink母の事 

2021年04月07日

母の晩年その2 

父が亡くなって半年ぐらいの間は色々な事務処理で本当に忙しかった。
区役所、年金事務所、銀行などに出かける事やそのほか色々なものの名義変
更などで電話連絡なども多く母と一緒に過ごすことが多く淋しさを感じてい
る暇がなかった。
そして春が来て一斉に花が芽吹き始めるころ私も母も改めて父のいない淋し
さを感じるようになった。

父が生きていた時には、自分の趣味で(カラオケ、グランドゴルフ、老人会)
忙しく私の家になど寄りつかなかった母が週に1度夕飯を食べさせてと来るよ
うになった。しばらくしたら週に1度泊まらせてと泊まるようになった
私の家と実家は歩いて15分ぐらいの距離にある。

そして父の死後1年近くになるころだろうか。ある日突然私の職場に電話がか
かってきた。頭がぼーっとして血圧を測ったら170もある。すぐに私の所に
来て!と。
そこからだった。一人では心配だからと何日か泊ってゆく。泊っている間はめ
ちゃ元気。食欲旺盛。家から老人会に出かけたりもする。でも帰るとまた具合
が悪いという・・
内科医も行った。血圧の薬を処方されたが下がると飲むのを止める。そしてまた
上がると我が家にお泊り。心療内科も行った。薬が出るとその薬のせいでやたら
ハイになる。そしてまた服用を止める。また具合が悪くなるの繰り返し。
とくに春先や秋の季節の変わり目がひどく「もう、ふらふら死にそう。」と呼ば
れて行くとみるみる元気になりご飯を食べお風呂に入る。
そして我が家に週に2日泊るようになりその間も血圧やら自律神経やらが乱れる
と1か月程度の長逗留になる。そしていつも寂しい、寂しいと言っていた。
そしてだんだん物忘れもひどくなり、自宅にいる時は「〇〇がないのだけどおま
えの家にない?」と電話が頻繁に来るようになった。
服装も夏なのに冬用のズボンをはいて平気だったり、同じ本ばかり何度も読ん
でいたり軽い認知症かなと思われるようになった。
でもまだ大丈夫、これなら家で過ごせると思っていた。本人はおまえの家で一
緒に暮らしたいが口癖になっていった。
確かに父と母、そして私と弟の家族でいた時はそれが当たり前だったが、主人
と私、そして母となるとどうしたって気を使う、自然な雰囲気という感じでは
ない。
私は週2回の母の来訪の時にはやはり何も用事は入れられないし、朝から憂鬱だ
った。そう、はっきり言おう。面倒くさくてイライラしていた。よく口げんかも
した。すると母は「さんざん世話になったくせに、面倒見るのが当たり前だろう」
と怒った。世の中の母親は皆そう思い、子供も育ててくれた恩返しと喜んで面倒
をみるのかな?私は邪悪な子供なのかな・・。

2019年7月末の夜だった。雨がじゃばじゃば降っていた。
いつものように主人と飲みながら夕飯を食べていると実家の隣の方から電話。
お母さんが「何もわからなくなっちゃった。」と今家に来ているのだけどと話され
る。飲んじゃってるし、大雨だし仕方がないのでタクシーを呼んで駆け付けた。

私が来るからと隣の方に言われて自宅に戻っていた母。朝の食事の残骸がテーブル
にあり白々とした蛍光灯の下でぼーっと立ち尽くしている母がいた・。
ついにこの日が来たか・・と絶望感が胸をよぎった私だった。

長くなるので続きはまた次回にします。

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toranekomoko at 12:31|Permalink母の事 

2021年04月05日

ウォーキングはお勧めです!

昨日無事に孫娘の初宮参りが済みました。
安産祈願をした日本橋の水天宮にお礼参りをしたのですが
小さな赤ちゃんを囲んでパパとママ、両家の親といくつもの
輪があふれていて、こんな大変なご時世だけど負けずに幸
せを取り戻してやる!と改めて思った私です。

さてさて、お宮参りの後今度は浅草にある今戸神社へ・・
実は10年位前になるだろうか・・息子は社会人になって初
めてつきあった女性と別れてから中々新たなご縁がなかった。
それで主人と浅草へ出かけた際に、今戸神社が縁結び神社
だということなので寄ってお参りしてきたのだった。

その後めでたく結婚する事が出来たのでお礼を言いに行か
なくてはと思っていた。息子夫婦たちも一緒に来たのだが、
まさかお嫁さんの前でそのいきさつを話せないので神社に
お参りする長男にそっと耳打ちして説明した(^^)

東京までは車で行ったので神社のそばの駐車場に車は停めて
そこからもうひとつの神社と隅田川沿いを散策したが長男が
「お母さん、よく歩けるね」とちょっとびっくりした様子。
そう、いつも車ばかりで、自転車は電動の私だったからだろ
う。
でも、今は違うのだ!毎日(とはいかないが)昼食後の室内マ
シンで10分歩き夕方には20分から30分外を歩いている私である。

これはジムに行けないためでもあるけれど、コロナ感染予防に
は歩く事と日光を浴びることがいちばんと言われている事も大
きい。先日も割と長い階段を歩く機会があったが主人がやはり
ちょっとびっくりしていた。どんだけへなちょこな私だったの
だろうか。

それから自分でも驚いているのは体のあちこちが痛くなくなっ
た事。長い間車に乗っていると降りる時に体のあちこちが痛く
てこんなんではこの先もっと年をとったらどうなるのかと実は
危惧していたのだが、気づけばそれも全くなくなっている。

結論として適度に歩く事は、健康に良いことづくめという事だ!
これだけはコロナ禍の中で唯一手にした利点と言うことができる。

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toranekomoko at 11:43|Permalink